振り返れば、私の学生時代は決して「順風満帆」ではありませんでした。
真面目に始まった中学生活。
思春期に初めての恋を経験し、修学旅行で京都に憧れを抱く。そこまではよくある青春の一ページかもしれません。
しかし高校に入ると、野球部で心身を削りながらも、学力や環境のギャップに苦しみ、うつ病を経験しました。
真面目に頑張っても報われない感覚は、思春期の自分には大きな壁でした。
ところがその後、生徒会に引き抜かれて体育祭を改革する側に回ったことで、初めて「人を動かす喜び」に出会います。
ダンス企画を成功させた体験は、いま振り返れば組織マネジメントの原点でした。
高校卒業後は、大学受験に失敗。燃え尽きて進路も見えず、友人たちが進学するなかでひとり立ち止まりました。
卒業式に出ることさえ逃げたくなるほどの挫折感。
ですが、この「一浪」の時間が、人生を考え直すためのリセット期間となりました。
縁あって関西の大学に進学することになります。中学で憧れた京都の大学生像を、数年遅れで自分が生きることになるとは思いもしませんでした。
大学生活もまた、一直線ではありません。サークル、アルバイト、恋愛、そして震災を経て「社会に役立つとは何か」を模索する日々。
服飾販売のアルバイトでは女性社会に揉まれ、人との距離感を学びました。
市役所でのインターンでは、現場を歩いて市民と向き合う大切さを知りました。
ただ、学業は順調ではなく、留年も経験。
親に怒られながら6回生までかかり、秋卒業という「裏口感のある旅立ち」になりました。
けれど、その過程で出会った人、挑戦した経験、失敗して学んだことは、どれも私にしか積めない時間だったのだと思います。
卒業間際には京都のデザイン会社でインターンをし、祇園祭や神社仏閣の広報に携わる機会を得ました。
神社の方々に話を聞き、文化を支える人の思いを発信する中で、「自分の失敗や遠回りも、コンテンツになる」という実感を得ました。
後に大きな反響を呼んだのは、まさにその「失敗を語れる強み」だったのです。
遠回りは「寄り道」ではなく「必要な道」
浪人や留年をしたことは、当時の私にとっては恥ずかしく、逃げたい現実でした。
でも今振り返ると、それらの時間は私にとって「必要な道」だったと感じます。
・浪人で関西に渡ったからこそ出会えた友人や先生がいる
・留年で生まれた空白の時間が、新しい人脈や体験につながった
・恥ずかしい失敗が、発信のネタとなり人を勇気づける材料になった
そう考えると、「順調であること」だけが人生の正解ではないのだと思います。
むしろ、挫折や迷走の時間にこそ、自分らしさの芽が眠っているのかもしれません。
あなたの「遠回り」は、どんな意味を持つか
この記事を読んでいる方の中にも、今まさに「回り道をしている」と感じている人がいるかもしれません。
周囲と比べて遅れているように思えたり、選んだ道が間違いだったのではと悩むこともあるでしょう。
けれど、私が経験したように、遠回りの中でしか出会えない人や学びがあります。
その時間があるからこそ、後の自分が豊かになるのです。
人生に無駄な寄り道はない。
すべての出来事が、あなたの物語を形づくる大切なピースになります。
もし今「うまくいかない」と感じているなら、その気持ちすらも未来の糧になる。
私はそう信じています。
結びに
かつて憧れた「キラキラした大学生」にはなれなかったかもしれません。けれど、浪人や留年や失敗を経て、今の自分がいます。遠回りした分、深く人と関わり、広く世界を知り、何より「人生に無駄はない」と言えるようになりました。
もしこの記事が、誰かの遠回りに少しでも意味を灯せたなら、それこそが私の物語の続きです。
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